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私の生まれた家は農家で、小さい時から父が「酒屋もん(酒造り職人)」でした。村の父の友人達もみんな杜氏や頭(かしら)や職人達だったと思います。秋の収穫が終わって、米の供出が終わると父は、半年分の身の回りの衣類を竹で編んだ行李(こうり)につめて、他県の酒蔵へ出稼ぎに出て行きます。
私達は、冬の間雪に閉ざされた村で父を待ちます。冬の晴れた日は、突き抜けるような紺碧の青空と一面銀世界の中で一日中遊びまわり、吹雪の吹きつける荒れた日は、電線が不気味な唸り声を上げ、朝起きると雪が二階まで降り積もっている事もありました。
やがて春が訪れ、それと共に父も帰ってきます。帰ってくると、いつも「お土産はなんだ?」と聞きたかったのですが、出稼ぎから帰ってくる父の姿がまぶしく感じられ、なんと声をかけたらといいものかと恥ずかしかった。父は、自分の造った酒と重い酒粕(さけかす)を必ず持って帰ってきました。祖母は、その酒粕で粕汁(かすじる)と甘酒を作り、私は兄弟達と酒粕を火であぶり焦げ目をつけて食べたものです。今考えれば、私の中の日本酒の原点はこういった小さい時からの環境にあるようです。
都会で暮らすようになって、再び故郷に戻ってきたのが30歳の時でした。その3年後、ようやく小さな小売酒屋を始める事が出来たのです。当時、新潟の地酒を販売し広めていくという意識はそれほど無かったのですが、販売していた日本酒のほとんどが新潟の地酒でした。どちらかと言うと、この酒は何処の家の親父さんが杜氏として造っているかというようなことに関心があったよう思います。
数年後に、「関東信越国税局の清酒鑑評会や国税庁の全国新酒鑑評会の公開きき酒会」に行くようになって、今まであたりまえの様に飲んでいた日本酒の味に、こんなにも素晴らしい香りや味、奥深さがあるのかと思い知らされました。この頃から日本酒の魅力に取りつかれ、その時に受けた衝撃、香り、味、奥深さを、より多くの人に知って欲しい、感じて欲しいと思うようになりました。
その思いは、今も当時のままです。 |
地酒サンマート 店主 中野秀樹 |
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